世界遺産暫定リスト 旧官営富岡製糸工場

前回のブログで訪れた群馬サファリパークから車で15分程にある旧富岡製糸工場を同日午後訪れました。交通機関は鉄道ですと、上信電鉄上州富岡駅から徒歩約10分、車ですと、上信越自動車道富岡インターから5分程のところにあります。

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タイトルに旧官営~とある通り、富岡製糸工場(これよりこうに呼びます)は既に操業を停止しています。

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明治4年に工場の建設は始まりました。当時の日本では外貨を稼ぐ輸出品は生糸とお茶くらいしかなかったのです。明治6年、明治天皇一行が富岡製糸工場を行啓された時、時の皇后は「いと車 とくもめくりて大御代(おおみよ)の 富をたすくる道ひらけつつ」と詠んでいます。

写真は正面玄関前の東繭倉庫。

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建物の設計は明治政府の雇われ外国人、フランス人ポール・ブリューナ等が設計しました。しかしフランス式のレンガの積み方は地震に弱く、この富岡製糸工場を最後に行なわれなくなり、以後は碓井峠の現在は使われていないアプト式鉄道橋に残るイギリス式という積み方が日本での主流になりました。

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パンフレットによりますと、建物の構造は“木骨レンガ造”(木材の骨組みの間にレンガを積み並べる工法)。使用されたレンガは日本の瓦職人が甘楽町福島に窯を築いて作り、目地は下仁田町の青倉、栗山産の石灰で作られた漆喰を、礎石は甘楽町小幡から切り出された砂岩を使用したとの事です。

工場内には女工館(日本人工女に機械による糸繰り技術を教えたフランス人女性教師の住居)、

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診療所、

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後に夜間学校となったブリューナ館(前記ブリューナが家族と暮らしていた住居)、

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寄宿舎‥

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‥が完備され、ここで働く工女は当時のエリートでした。明治初頭に1日8時間労働、日曜日が休日で、能力によって給料がランクづけされていたそうです。
この工場で働いて、教育を受け、給料を貯めてお嫁にいくのが理想的なコースで、いわゆる公務員であった為、“野麦峠”とか“女工哀史”とか言われている世界とは別世界でした。

繰糸場に入ってみましょう!

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機械は日産(現在の自動車会社)製で、昭和62年まで操業をしていました。

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官営から三井→原を経て、現在の片倉工業株式会社が最終操業をしていましたが、輸入品に押され工場を閉鎖しました。操業停止後も維持費に1億円/
年かかったそうです。最終的に富岡市し寄贈されました。
今日、この産業遺産がまるで明治時代にタイムスリップしたかのように残されているのも、ここ富岡製糸工場が日本の近代工業の幕開けとなった貴重な建物だという事を関係する多くの人々が守ってきたからなのでしょう。

入場料は大人¥500、高校、大学生¥250、小中学生¥150です。正時毎にガイドの説明があります。これを聞くと聞かないでは値打ちが違いますので、是非(無料の)ガイドツアーに参加する事をお薦めします。

ツアーの最後に西繭倉庫を見てツアーはおしまいです。

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カティは群馬サファリパークの後の訪問で午後となりましたが、写真を撮るには逆光になるので、写真にこだわるようでしたら、午前中に見学するとよいでしょう。




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